2011年07月11日

安全と安心は違う

「安全」と「安心」は違うと言われます。
「安全」は、科学的な見地からの話で、様々な実験や、実験から得られた有力な仮説を踏まえた上での、「ここまでは大丈夫、これ以上は危険がある」という内容です。

一方で、「安心」は、その「安全」を受け入れた上でもたらされる意識、感情上のものです。科学の話は、普通の人には通常難し過ぎます。したがって、「科学」をしっかり理解するというよりは、「科学」を前提にした様々な規制やガイドラインがしっかり機能しているという信頼から、「安心」は成立します。
つまり、「科学によってしっかり検証されている、そしてそれに基づいてしっかり規制がされている」、このことに対する信頼があって、「安心」が生まれてくるのです。

現状の放射線に関する東葛地区の「不安」は二つに分けられます。
・科学的にも「安全」ではないから、当然「安心」もできない
・科学的に「安全」かどうかは難しくてよくわからないけれど、何となく、科学的に「安全」と言われても、ちょっと信頼できない。だから、「安心」できない

前者は、科学に対する見識をお持ちの方で、自らの考えでICRPや各学会の考え方は「違う」と判断し、ICRPの考え方に準拠して動いている政府や自治体の対応では、「安心」できないということだと思います。
また、後者は、普通の市民の方で、当然放射能に関する難しい話はよくわかりません。だから、専門家や政府の話を参照するのですが、その専門家や政府の話が本当かどうか、ニュースや雑誌を見る限り、はっきりと信頼できなくなってしまって、「安心」できなくなってしまっている状況だと思います。

前者の場合は、まさに科学論争なので、これはこれでしっかり議論されるべきだと思います。
問題は後者です。本来であれば、専門家や政府に対する信頼があって、「安心」は担保されるのですが、その信頼が揺らいでいて、結果、「安心」も揺らいでいます。ここは信頼を回復させるしかないのですが、一度揺らいだ信頼を取り戻すことは、大変な作業です。

信頼がなくなれば、何を信じて良いのかわからず、底なしの不安に陥る可能性があります。そうなると、とにかく100%の安全が欲しいという、純粋な気持ちになるのも当然です。
私は、当初はこの「安全」を説明することに主眼を置いていましたが、専門家や政府への信頼が揺らいでいる以上は、「安全」の説明より、「安心」に寄りそうことが大事であるということを痛感しています。どういった形で寄りそうべきなのか、まだまだ検討が必要ですが、今後一つ一つ打ち手を行っていきたいと思います。
posted by 秋山ひろやす at 13:28| エッセイ | 更新情報をチェックする
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