2011年07月14日

短期国債50兆円の保有が海外勢という事実

吉田繁治さんの有料メルマガは、マクロ経済の構造を、わかりやすく、かつ数字で解明します。その数字はどのような意味を持つか、長期的な視点で語るところに、大きな価値があります。7月13日号は国債危機がテーマです。非常に大切な内容です。
まず、カーメン・ラインハートとケネス・ロコブの『国家は破産する』を引用して、国家の財政破たんのパターンを描きます
  1. まず、資産価値が広範囲に、そして長期に続く。これが金融危機を引き起こす
  2. 金融危機は信用収縮、金融部門の付加価値減少を引き起こし、結果的に実体経済のパイ縮小に結びつく、そしてそれはそのまま失業率の上昇となる
  3. そして政府税収の落ち込み、景気対策による歳出拡大で、政府債務が一層膨らむ
日本の現状です。2011年は、170兆円の国債発行のようです。新発が44兆円、借り換えが124兆円。これに震災復興関連が加わります。
新発44兆円の買い手は、過去に郵貯簡保年金基金でしたが、今やその力はない。現在は、生保や銀行といった民間金融機関が主な買い手です。

さて、今年度の話です。実は、まだ新規の国債は発行されていません。赤字国債法案が国会で通っていないので、発行できないのです。したがって、税収と、財務省が発行する資金繰りのための「短期証券」で、やりくりを行っています。
法案が通った時に、今までの資金不足を解消するため、一気に新規国債を発行します。この一気に発行せざるを得ない状況が、引き受け不足、つまり、新規国債が消化できない状況に追い込むのではないかと、吉田氏は分析します。結果的に、大量の発行ができないので、様子を見ながらの、綱渡りの発行になるだろうと言います。

民間の会社の信用が落ちてくると、長期借入が、短期借入に変わり、会社は短い期間での借り換えに四苦八苦し、日々資金繰りと格闘する事態になります。

これと同じことが、国でも起き始めているのではないかと言います。

また、この状態に、復興原発関連の起債が起こります。数年間で40兆円以上と言われます。とても、民間金融機関で買える量ではないでしょう。
となると、日銀による直接買い付けをやらざるを得ないことになるかもしれないとします。

ここからが大事と吉田氏は言います。私も読んで、驚きました。

2008年のユーロ危機(ユーロの価値が下がる、ユーロ安)から、実は、1年以内の短期国債の、海外からの買いがじわじわと増えているとのことです。2011年の1月から5月にかけては、なんと50兆円も買っているとのこと。これは、円高を期待しての買いであると言います。つまり、利率でなく、為替差益。

したがって、短期国債は、いまやバブル状態。年0.16%。

しかし、流れが円安と認識された瞬間に、為替差益が望めないということで、今度は売りが猛烈に起こる。国債の先物の怒涛の売りがいつ始まるか。下がることが予想されている状況では、先物売りは利益を生みます。
財政破綻、つまり借りることができない、あるいは高い金利でなければ借りることができない状態は、じわじわではなく、債券市場で、ある日突然やってくると言います。

その時、買い手として日銀が動くしかなくなると言います。
今年の冬には、海外勢が売りをかけてくる可能性が高く、日銀が動かざるを得ない状況になるだろうと言います。そして、金利はどうなるのか。金利が少しでも上がれば、保有国債の評価損が起こります。保有金融機関への影響はどうなるのか。
そして、何よりも、政府が金利負担にどこまで耐えられるのか。

国債の売りは売りを呼び、金利は上がる可能性が高い。

この予測が、この2011年の冬に起これば、地方自治体だって、巻き込まれます。おそらく、地方債の発行枠が相当絞られる。金利負担だって、上がってくる。今までの財政運営を根本から見直す必要が出てきます。債券の先物市場は要確認です。
posted by 秋山ひろやす at 11:50| 政治的な考え方 | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

葬儀ビジネスと、行政サービス

おそらく柏(方面)にお住まいと思われる、双日総研の吉崎さんのブログは、毎日チェックしています。柏にお住まいだからというよりは、市長に就任する前からずっとチェックしている、大事な情報源です。

その1月20日のブログには、葬儀ビジネスの旧来の収益構造が崩壊していくだろうという話です。その理由がいろいろ考えさせるものです。今までは葬儀の発注経験が人生1〜2回限りという消費者の理解不足に乗じて、業者都合のパッケージ、つまり業者有利の収益構造で葬儀ビジネスが行われてきました。しかし、これからは、リクルートみたいな企業が参入して、業者都合のパッケージが白日のもとに晒されて、昔みたいな収益構造を維持することは困難になるだろうし、現在その流れにあるとのことです。消費者のニーズをしっかり受け止めて、新しいパッケージを作らないと、今までのような収益を確保することは難しくなるだろうとのことです。

似たようなことが、過去に結婚式の市場で起こったと指摘しています。葬式は死亡者の増加で、数量は増えていることは間違いありませんし、数少ない有望市場ということで、参入が増えています。柏でも、この1年で駅前に二つも葬儀場ができました。しかし、吉崎さんの指摘通り、情報化の波、つまり、消費者が購入初めてでも「比較検討」がしっかりできて、ある程度合理的な選択ができるという事態になると、消費者の理解不足に乗じた超過収益を取ることは難しくなります。

実は、この話、ある側面では、行政にもあてはまるのかなと感じました。税金は自動的に徴収されるし、行政サービスの受益も非常に細かく幅広いということで、市民は「行政のことは、よくわからない」、つまり「税金と、実現される社会制度」のバランスがよくわからないということだと思います。
「葬儀サービスと価格のバランスがよくわからないから、葬儀業者の言いなりになる」と似ていて、「行政サービスと税金のバランスがよくわからないから、政治家に丸投げする、行政の言うことをそのまま受け入れる」ということになるのかなと思います。

でも仕方ないと思います。行政サービスは、葬儀サービスと比べたら、とてつもなく複雑で、一つ一つの事業は理解できても、それを束ねた行政サービス全体はとても理解できません。だから、「丸投げ」「そのまま受け入れる」ことになるのも仕方ないと思います。

しかし、葬儀ビジネスでこれから起きようとしていることが、行政にも起こったら、どうでしょうか。
消費者が葬儀の仕組みを理解して、比較検討できるようになると、葬儀会社のイノベーションが起こり、サービスは良く、価格は安くということが生まれ、消費者の満足度も高まります。市民が行政の仕組みを理解して、例えば各市町村の行政サービスを比較検討できるようになると、市町村のイノベーションが起こり、サービスが改善され、結果的に市民の満足度が高まる、、、どうでしょうか。

行政の仕組みを理解することは大変です。単純に、保育料、下水道料金、グラウンド使用料など比較しても、あまり意味がありません。どういう切り口で、仕組みを理解するのか、それも意外と難しい話です。でも、行政のイノベーション、もっと簡単にいえば、行政サービスの改善には、市民の比較検討を通した「厳しい目」が有効だと思います。単に「要求する」ことではなく、「他はこうやっているのに、どうしてうちの市はできないのか」のような、理屈が通る「厳しい目」です。

そのような行政の仕組みの理解のネタを提供するのは、誰の仕事でしょうか。政治家?、学者?、マスコミ?、市民団体? 中心は学者だと思います。制度論の分析や、難しく地方自治体の問題を語ることを越えて、複雑な行政の仕組みを解きほぐして、市民の理解を助けるアウトプットをどんどん出してもらいたいと思います。私自身も、チャレンジをしていきます。

posted by 秋山ひろやす at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治的な考え方 | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

市民参画

よく「市民参画」という言葉が使われます。行政の様々な意思決定や活動に、市民が積極的に関与していくことです。今までの行政の意思決定が時にズサンであったり、運営が画一的であったり、または非効率であったりと、行政の仕事に対する低い信頼感と、選挙で市長を選ぶものの、その市長に行政運営を任せているだけでは、街はうまく回らないという問題意識が根底です。

また、学術的には、市民が行政、つまり公共作りに関与することによって、行政サービスの一方的な受益者という側面から一歩進み、行政サービスを受益しつつ、一方で公に貢献するという相互性の意識を高めることができるとも言われています。わかりやすい例は、 PTAなどの学校作りに参加することを通して、 小学校の運営は学校の仕事と一方的に任せることから一歩進み、学校と一緒に子どもの教育環境を作っていくという意識が盛り上がってくるということです。

しかし、この「市民参画」、なかなか広がらない。もちろん、既にライフワークとして公共作りに関与してもらっている、あるいは、できるところから関与してもらっている柏市民の方もたくさんいらっしゃいます。でも、40万人という人口から比べると、まだ小さいか、そんな状況です。

広がらない理由、その1は行政側。意思決定や運営に市民が大きく関与すると、「大変になる」という、条件反射的な恐れ。二つの意味があります。市民の皆さんは同じ意見を持っているわけではないので、市民の皆さんが議論をすればするほど、結論に至らなくなる可能性があります。時に感情的になり、どんな結論が出ても、感情的なシコリが残ってしまう、何ともやるせない結果になることの恐れです。議論を通して、納得に至ることが理想なのですが、現実は難しかったりします。

もう一つは、議論をするというより、「自分の意見が絶対」とか、「とにかく行政批判」という一方的な市民の方の登場に対する恐れ。このような方が議論に入ると、もう収拾がつきません。「そんな人いるんですか?」という質問もあるかもしれませんが、います、断言します。数は少ないですが、登場するとどうにもなりません。行政に対する不満も理解可能ですが、独善的になってしまうと、周りを巻き込むことはできず、物事は動きません。

広がらない理由、その2は市民側。やっぱり「市民参画」は市民にとっては面倒。好きなこと言うだけだったら簡単だけれど、複雑な内容を理解して、いろいろな立場を理解しながら議論をしたり、活動したりするのは大変です。毎日いろいろ忙しい。できることならば、行政側が仕事を一生懸命にやって、良い社会を作ってもらいたい、だって、それが仕事でしょ!、という声も聞こえます。その気持ち、確かによくわかります。

こう考えると、なかなか「市民参画」は広がらず、行政お得意の「絵に描いた餅」状態になりがちですが、私は、何とか広げたいと思っています。「市民参画」が広がれば、もっと行政の質は上がりますし、市民の皆さんの街づくりへの納得感もあがると思います。ゆっくりでも小さくても、ひとつずつ積み上げたいと思っています。まずは行政側から改めたり、工夫をしたりする必要があります。そこ試みが、来年度のテーマのひとつです。
posted by 秋山ひろやす at 23:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治的な考え方 | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

民主党の議員は力量がない

116日の日経で、大御所、藤井官房副長官が、「どうして、(国会において)政治主導とならないか」という疑問に対して、「単に、政治家の力量が足らないだけ」とバッサリです。(あんたは、どうなの?という、突っ込みは横において)

 

大蔵省出身の藤井先生いわく、「大臣がだらしないと、官僚としては自分たちがやるしかないでしょうと、積極的に動く」とのことで、「昔は、役人とタッグを組んでやる、力量のある政治家がいた」と。

 

さらに、「役人は過去の継続で考えるので、発想の転換はできない」と役人の限界を述べますが、その限界を補う政治家もダメということで、年長者として、どうお考えなのでしょうか。

 

最期に「力量のある政治家が出てこない理由のひとつは、若い政治家が多いこと」と指摘し、京セラ稲盛氏の「民主党の人は若くてまじめだけど青い」という発言を引用します。誰とは言っていませんが、民主党の30代、40代を指しているのだと思います。

 

藤井先生の言われることも、一理あると思います。

確かに、霞ヶ関という大きな、そして伝統のある、優秀な組織をマネジメントするには、相当の力量が必要なことは間違いありません。一人では到底見切れない組織ですから、チーム編成をどう組み立て、また様々な業務や事業を、ある程度任せながらも、全体観はグリップし、結果を出していく、本当に難しいです。自分でやるというより、他人にやってもらって、結果を出す、まさにマネジメントです。このマネジメントのアートを相当自覚してやらなければなりません。単に理想を掲げて、丸投げ、頓挫、怒る、停滞では、マネジメント初心者です。

 

しかしながら、マネジメントは組織運営技術に過ぎず、政治家としての本質的な仕事は「納得できる社会観」を提示することです。結局、政治家の力量とは、「社会観の提示」と「マネジメント力」なのかもしれません

 

そのような意味では、その力量は経験によって作られる側面が強く、「若さ」はハンデです。若い政治家は素直にそれを認めて、努力しなくてはいけません。私は国会議員ではありませんが、私にもある意味当てはまることです。

 

しかし、「若さ」は、そのハンデを乗り越える機会も含んでいます。年長者の方には、乗り越えるための支援をぜひして頂きたいと思います。藤井先生も年長者として、ぜひお願いしたいと思います。

posted by 秋山ひろやす at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治的な考え方 | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

社会資本 その2

前回は少し難しい書き方になってしまいましたが、要は、私も社会資本という概念を重要視しているし、柏の街づくりにおいても、この社会資本を厚くする試みが大事だと認識しています。

「市民参加型の街づくり」が大事と言われますが、市民が「街づくりに参加したい」と思ってもらうことが最初です。「街づくり」は、単に自己に都合の良い行政サービスをリクエストすることではありません。自分が住む街の全体と、将来を考えて、何をどうしていけば良いのか、市長と同じような視点で「街づくり」を考えたり、自分が住む街に対して貢献できることを、できる範囲で行っていくことです。

愛する家族や、大切な友人のためには、「自分よりも相手を優先して、何かを行う」ことが普通です。この行動は、愛と言ったり、友情と言ったりしますが、この気持ちがもっと広がると、「自分の住む街のために、何かを行う」という、地域愛(ふるさと愛)に繋がっていきます。

「街づくり」には、この地域愛が前提です。「街づくり」は、「私に都合の良い街」の視点ではなく、「私たち全体によって良い街」の視点でなければなりません。「私の視点」ではなく、「私たちの視点」を貫けるか、ここが大事です。だから、「私たちの視点」に繋がる社会資本の厚みが必要なのです。

社会資本が厚くなることは、この地域愛が強くなることだと考えています。柏における、ヒトとヒトの繋がりが網の目状に広がること、つまり社会資本が厚くなることが、「市民参加型の街づくり」の前提になると考えています。

「街づくり」だけが、理由ではありません。相互関係ネットワークは、個人の幸福感にも直結すると思います。信頼、そしてその上にできる「お互い様」の関係が広がることは、社会的動物である人間には必須の精神的な繋がりです。社会的資本が厚いことは、社会全体にとってもプラスで、個人にとってもプラスです。だから、社会資本を厚くする試みに対して、意識的に行政が動かなければならないと思っています。

具体的に何を行うのか? いろいろなことの積み重ねです。こういった内容に包括的に向き合っていく部署を作りあげ、柏市民の地域愛を高める仕掛けの試行錯誤を行っていきたいと思います。
posted by 秋山ひろやす at 07:25| Comment(1) | 政治的な考え方 | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

社会資本について その1

私が強く影響を受けている概念のひとつが、ロバート・パトナム氏の「社会資本」です。(Robert D Putnam; Social Capital)

社会資本とは、ヒトとヒトの、コミュニケーションの繋がりのことです。コミュニケーションの繋がりによって、信頼が生まれ、その結果、相互利益をもたらす協同と協調が行われるようになり、あわせて規範が確立し、自発的な秩序が保たれるという仮説があります。

この社会資本が厚いほど、社会制度はうまく機能し、これが薄いほど、社会制度がうまく回らないという仮説を出しています。なぜなら、濃密な相互関係ネットワークにおける個人は、「私という視点」と「私たちという視点」の両方をバランスよく持つので、個人の利益を単に追求するというより、全体としての利益を考慮するようになるからです。活発な民主主義の前提が、この社会資本だとします。

ヒトとヒトのコミュニケーションの繋がりとは、広義では学校関連、宗教関連、趣味、ボランティア、職業団体、近隣など、いろいろなものが含まれます。社会資本が厚いとは、こういったグループの中での、ヒトとヒトのくもの巣状の繋がりの広がりです。n対nのようなもので、1対nのようなものは、社会資本は薄いとされます。

ロバート・パトナム氏は、アメリカにおける社会資本の実証分析を行いました。全体として、アメリカ人は、社会資本に繋がる社会的グループにだんだん参加しなくなってきており、結果としてアメリカの社会資本はどんどん薄くなっていると結論づけました。アメリカ人は、一般的にヒトを信頼しなくなり、政治参加にも消極的(私たちという視点が弱い)になってきていると言います。

その理由として、労働時間の上昇や、流動性の高さを挙げていますが、注目しているのが、テレビ、電子ゲーム、インターネットなどの「娯楽の個人化」ツールの発達です。この「娯楽の個人化」が、ヒトとヒトのコミュニケーションの機会を間違いなく奪っているのではないかと推測しています。

パトナム氏はアメリカの分析を行っていますが、これは日本に、そして柏にもあてはまると思っています。次回は、市政運営と、この社会資本についての考えをお伝えします。

posted by 秋山ひろやす at 15:09| Comment(2) | 政治的な考え方 | 更新情報をチェックする

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