2011年09月30日

良い批評が、物事を良くする

批評と非難は違います。批評は、前向きです。良いものを作りたいから、そのために悪いところを指摘する、それが批評です。非難は後ろ向きです。とにかく悪そうなところを指摘する。良いものを作りたいからではなく、相手をやっつけたいから、悪いところを指摘するのです
批評と非難は、「悪い部分を指摘する」という点は同じですが、根底にある目指すものの違いがあります。「良いものを作りたいから、悪い部分を指摘するのか」、「相手をやっつけたいから、悪い分を指摘するのか」。
相手をやっつけることによって、自分のポジションが引き立つということは、よくあります。だから、相手を非難するというテクニックは、処世術として必要なモノです。私も無自覚で、やってきた部分もたくさんあると思います。
非難は何も創造しませんし、時には感情的な対立を生み、物事は悪い方に動いてしまいます。批評は、「良いものを作りたい」という想いがあるから、ぶつかり合いがあっても、間違いなく、最終的には良い方向に流れます。
悪いところを指摘することは大事です。悪い分を認識することが、改善の第一歩です。ただし、悪いところを指摘する目的の違いによって、結果は雲泥の差となります。
政治は、良い社会を作るために仕事をするのですが、ポジションを取らないと権限をもって仕事ができないため、ポジションを取る、つまり選挙に勝つことも大事になってきます。良い社会を作るために、選挙に勝とうとするのですが、どうしても「選挙に勝つ」ことが目先の目的になってしまいます。
選挙に勝つために、自分のポジションを引き立てることは大事です。そうすると、自ずと競争相手をやっつけることが目的となります。どの政治家も良い社会を作るために仕事をしているのですが、そのような背景があるので、良い社会を作るための批評にはならず、相手をやっつけるための非難になる傾向にあります。これは構造です。
この構造を意図せずして強固にしてしまうのが、マスコミや評論家です。マスコミも評論家も、悪いところを指摘することが自らの価値です。もちろん、良い社会を作るための指摘なのですが、政治と同様、自らのポジションを引き立てるため、「悪いところを指摘する」ことが目先の目的になりがちです。
したがって、政治における非難合戦にのっかってしまいがちです。全員が良い社会を作るためと思っているのですが、批評にならず、非難になってしまう。非難は相手をやっつけることが目的ですから、物事が進展しません。
東北の復興も、福島の原発問題も、全員が「何とかしたい」と思っていて、その想いの中で批評をすれば良い方向に進むのですが、構造上、どうしても非難の会議になってしまう。これは、自民党でも、民主党でも、同じ構造です。
これをどうやって乗り切るか。少なくとも、私自身が、非難に陥らないように、つまり、批評を心がけるように努力をしなくてはいけません。
posted by 秋山ひろやす at 12:10| エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

池上彰のすごさ

テレビ番組のニュース解説で圧倒的な人気を誇る池上彰さん。彼の特集が、かなり前ですが、去年の今頃のアエラにありました。

ひとつのエピソードが紹介されています。視聴率を上げるための会議で、取材対象が軟派傾向になりそうになったときに、池上さんはイラン大統領選を提案。テレビの制作サイドは、それでは視聴率が取れないと反対したが、池上さんの提案に従ってみたところ、視聴率はグッとアップ。

池上さんいわく、
「難しいことには関心がない、お笑いや大食いの方が視聴率が上がるという思い込みの方が間違いだったんですね。難しい問題もおもしろく、わかりやすく伝えれば関心が高い。これまでは伝える側の努力が足りなかったんじゃないでしょうか」

このコメント、心の底から同意します。
政治や行政への一般的な関心の低さは、政治や行政の伝え手の努力が足りなかった結果かもしれません。よくわからないから関心が薄れてしまう、でも、心の底では「知りたい」願望があり、知ると関心は自動的に高まって、少しは状況は変わったかもしれません。

我々政治家は、伝え方で大きな問題を抱えているという自覚を持つべきだと思います。
伝え方が下手なのは、技術の問題というより、本質的な理解ができていないからかもしれません。池上さんいわく、「わかりやすく伝えることは、世の中の難しいことを理解するからできる」。

世の中の現実は相当複雑ですし、一つ一つの制度や法律の体系も複雑、何かを短い時間で過不足なく説明することは、本当に難しい。だから、ワンフレーズポリティックスが脚光を浴びるのかもしれませんし、政治家としてマーケティング的には正しい戦術かもしれません。しかし、ワンフレーズポリティックスの競い合いでは、政策は変わりません。

我々政治家は、難しいことをどうやってわかりやすく説明するか、そして市民の知りたい好奇心を刺激し、社会や政治に対する関心を上げることができるか、こういった部分の仕事も担っていると思います。
そういった意味では、池上さんの伝える力は、大きく学ばなければなりません。

池上さんの伝える力の裏側には、相当の勉強量があると言われています。私も、相当勉強しなければいけないと反省しています。
ちなみに、優秀な官僚は、伝える力は持っているけれど、あえてわかりにくく説明して、煙に巻くという説もありますが、どうなんでしょうか。
posted by 秋山ひろやす at 22:53| エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

みのもんたさんの番組

放送されるかどうか、わからないのですが、今日、みのもんたさんの朝の番組の取材が1時間強ありました。
内容は、放射線対策に関する内容と、香山リカさんのエッセイ引用の件です。

先に、後者の方を先に書くと、私の文章を通して、一部の方が「あなたがは引きこもりだと言われている」と理解しているようですと、教えてくれました。その点は、完全に誤解ですが、お気持ちを害した方には、お詫びしなければなりません。

そして、取材のほとんどが前者で、内容は「安全と安心」に関するものです。
取材のテーマが、「安心のために、もっと市が動いた方が良いのではないか」ということだったと思います。

私のお伝えしたことは、
放射線の件は、わかりにくいので、なんとなくの不安がどんどん膨張していしまう
したがって、不安をできる限り客観視して、不安の膨張をおさえることが大事
国、市、専門家、マスコミは、客観視できるような情報を、たくさん、繰り返し伝えていく
ということでした。

その中で、市の動きが弱いと言われれば、確かに、その通りかもしれません。
柏市のホームページに詳細がありますし、今後も追加的にアップされると思いますが、食材測定の継続、積算線量計による実体の把握、ピンポイントに高い箇所の対応など、少しでも安心感につながる部分を行っていきます。

posted by 秋山ひろやす at 12:08| エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

みのもんたさん、その後

みのもんたさんの番組の内容が、複数の方のお話をつなげていくと、何となく見えてきました。とにかく「おもしろく」報道したいという、その一点で番組が構成されたようで、報道型エンターテイメント番組の宿命だと思います。 

通常の報道番組は、必ず裏を取る、つまり事実関係を取らなければなりません。なぜならば、一つの情報を頼った報道では、誤ってしまう可能性があるからです。だから、今回、私のブログの内容を報道しようと思ったので、私にも意見を聞こうとしたのだと思います。私は、焼却灰の対応で忙しいので、来週明けでお願いしますと伝えました。
先方は、今日の放送予定があったのでしょう。しかし、週明けに会うと言っているのですから、週間番組ですから、一週ずらして番組を放送すれば良いだけです。内容に緊急性はないでしょう。火曜日のアポがありましたが、結局、先方からはキャンセルということでした。木曜日の深夜1時に自宅で隠し撮りして、取材ができなかったはないでしょう。かなり一方的です。 

結局、裏を取らないまま、放送されました。みのもんたさんの番組は、報道ではなく、エンターテイメントですから仕方ないと思います。事実を報道するのではなく、「面白い番組」を作ることが使命だからです。「話題の地域の市長が面白いコメントをしている」という切り口で、背景を全く無視して、都合よくブログやツイッターの文章を切り抜いて、「変な市長がいて、おかしいでしょう」というメッセージを出す番組を作りたかった、おそらく、この一点だったと思います。 

担当ディレクターさんが、報道の公平性や真実性より、面白く作る方を優先してしまう気持もわかります。面白い番組の積み重ねが視聴率につながるからです。しかし、この非常時、特に放射能関連の取材ならば、「面白く作る」よりも、「視聴者が本当に知りたいことを、わかりやすく伝える」ことが報道の原点だと思います。もちろん、担当ディレクターさんが、「我々は報道でなく、エンターテイメントだ」と言われてしまえが、それまでですが。部数や視聴率を追わなければならない商業ベースの報道の難しい側面です。
posted by 秋山ひろやす at 18:04| エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

香山さんのエッセイに関して

ダイヤモンドオンラインの香山リカさんのエッセイを引用した、先週のブログを削除していますが、この件について、今日のTBSテレビのみのもんたさんの番組で取り上げられていると友人から聞きました。

私はその番組を見ていないので、友人のお話をベースに書きますが、間違っていたら申し訳ありません。まず、私が公務を理由に取材を断ったとなっていますが、取材の申し込みが、確か水曜日です。柏は、放射能汚染のある焼却灰問題を抱え、また同様の問題を抱えた近隣市の事務的な代表として、環境省とやり取りする立場でした。したがって、週明けでお願いしたいとしました。

「取材日程が番組放送まで間に合いませんでした」というなら正しいですが、「取材を断った」というというならば間違いです。番組にとって都合の良い日程は確かに断りましたが、わずか数日のズレです。報道側の日程にあわせて、予定を組むわけにはいきません。火曜日の取材予定は、もうキャンセルになってしまうのでしょうか?

それから、香山さんも意図がうまく伝わらかなったと書かれた文章を見つけたので、そのお話を引用した文章は、香山さんに迷惑をかけると思い、削除しました。

香山さんの文章の本質的なテーマは、「引きこもりの方の社会の接点」で、今回は原発報道という現実社会の接点で、引きこもりの方の大きなエネルギーを感じたという内容だと私は読みました。
引きこもりの方の潜在的な人数が増えていると推定される中で、香山さんの掲げた本質的なテーマは、社会全体の大きなテーマです。
引きこもりの方の知的好奇心などのエネルギーをどう社会と結びつけるか、これが香山さんの今回のエッセイのポイントであり、悩ましい心情だったと思います。

私も、その悩ましい心情がわかるという意味での引用でしたが、残念ながら、放射能報道に関するコメントとして取られてしまったようです。

posted by 秋山ひろやす at 14:26| エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

安全と安心は違う

「安全」と「安心」は違うと言われます。
「安全」は、科学的な見地からの話で、様々な実験や、実験から得られた有力な仮説を踏まえた上での、「ここまでは大丈夫、これ以上は危険がある」という内容です。

一方で、「安心」は、その「安全」を受け入れた上でもたらされる意識、感情上のものです。科学の話は、普通の人には通常難し過ぎます。したがって、「科学」をしっかり理解するというよりは、「科学」を前提にした様々な規制やガイドラインがしっかり機能しているという信頼から、「安心」は成立します。
つまり、「科学によってしっかり検証されている、そしてそれに基づいてしっかり規制がされている」、このことに対する信頼があって、「安心」が生まれてくるのです。

現状の放射線に関する東葛地区の「不安」は二つに分けられます。
・科学的にも「安全」ではないから、当然「安心」もできない
・科学的に「安全」かどうかは難しくてよくわからないけれど、何となく、科学的に「安全」と言われても、ちょっと信頼できない。だから、「安心」できない

前者は、科学に対する見識をお持ちの方で、自らの考えでICRPや各学会の考え方は「違う」と判断し、ICRPの考え方に準拠して動いている政府や自治体の対応では、「安心」できないということだと思います。
また、後者は、普通の市民の方で、当然放射能に関する難しい話はよくわかりません。だから、専門家や政府の話を参照するのですが、その専門家や政府の話が本当かどうか、ニュースや雑誌を見る限り、はっきりと信頼できなくなってしまって、「安心」できなくなってしまっている状況だと思います。

前者の場合は、まさに科学論争なので、これはこれでしっかり議論されるべきだと思います。
問題は後者です。本来であれば、専門家や政府に対する信頼があって、「安心」は担保されるのですが、その信頼が揺らいでいて、結果、「安心」も揺らいでいます。ここは信頼を回復させるしかないのですが、一度揺らいだ信頼を取り戻すことは、大変な作業です。

信頼がなくなれば、何を信じて良いのかわからず、底なしの不安に陥る可能性があります。そうなると、とにかく100%の安全が欲しいという、純粋な気持ちになるのも当然です。
私は、当初はこの「安全」を説明することに主眼を置いていましたが、専門家や政府への信頼が揺らいでいる以上は、「安全」の説明より、「安心」に寄りそうことが大事であるということを痛感しています。どういった形で寄りそうべきなのか、まだまだ検討が必要ですが、今後一つ一つ打ち手を行っていきたいと思います。
posted by 秋山ひろやす at 13:28| エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

国で議論すべきこと、メディアが報道すべきこと

大きな政策は、議論したって、すぐには結論は出ない。でも、議論をして、論点を明確にしていかなければ、いつまでたっても進まない。日本が、今、この状態だ

そして、大きな政策の議論は難しく、つまらない。でも、メディアは報道しなければならない。なぜなら、それが「皆の問題」、つまり「社会の問題」だからだ。しかし、つまらない報道は売れない、視聴率が上がらない。あとは、報道側の哲学の問題だ。商売としてのメディアの側面と、より良き社会を作るための媒体としての側面という2つの側面に関する、バランスの哲学だ。

福島原発事故を通して、今議論すべき大きな政策は、「エネルギー政策」だ。国会議員にとっては、今や「社会保障と税制」に並んで、絶対に持論を持たなければならない領域だ。党の考えではなく、持論だ。少なくとも、2期以上の先生には頑張ってもらいたい。

エネルギー政策の根本が定まらなければ、東電の処理方法も決まらないし、原発の当面の運営方針も決まらない。基本的には、今までのエネルギー秩序を改善した上で継続していくのか、それとも大きな方針転換を行うのか、これが最初の問いだ。

世論は「原発は不安。でも、電気代が上がるのは嫌。それに、この節電モードが継続することの影響が心配」ということ。この世論を踏まえて、論点を整理していく。そして、論点を、理屈で議論していく。これを、今やらなければならない。特急で。
原発対応チームも短期的には大事だが、中期的にはこのエネルギー対応チームが大事。このチームが、自民党でも民主党でも、立ち上がっていかないと、実は何も進まない。最悪だ。自民党の河野太郎さんが一人頑張っているが、チームになっていない。彼の問題なのか、自民党の問題なのか。民主党は全く見えない。

メディアも踏ん張らないといけない。菅首相と、海江田大臣の意思疎通のまずさや、その背景の問題、そしてその影響を報道するには、確かに必要だ。確かに、手続きやマネジメントも大事だから、その稚拙さを嘆くことも必要だ。でも、その背景にはもっと大きな問題がある。
「エネルギー政策」に関して、国の意思決定構造の中で、何が起こっているのか。そして、何がどうなって、今、エネルギーに関する施策が発表されているのか。

この辺は、「売れない」内容かもしれない。でも、極めて大事な内容だ。エネルギー政策で、どのような力学が働いて、政策決定されているのか。その政策決定において、「まともな議論」がしっかりされて、その上で決定されているのか。この辺を取材し、整理し、世に問うという哲学も持つメディアはいないのか。

そして、我々は、そのような「まとまなことをやる」国会議員や、メディアを支えていかなくては、彼らは犬死にしてしまう
posted by 秋山ひろやす at 09:54| エッセイ | 更新情報をチェックする

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